今宵逢う人みな美しき

綺麗なモブになりたいジャニオタの独り言

今ひとりで生きるあなたへ —2018年3月10日のらじらーを聴いて思うこと—

 

 

 

2018年3月10日放送のらじらーサタデーを聞いて、居ても立っても居られなくなり、この独り言を書き始めました。あのメールを送ってきた子達より、少しだけ大人のわたしが思うことです。

常に多様化するコミュニケーション手段と、昔から変わることのない閉鎖的なコミュニティで生き永らえる苦しさ。いつの時代だって起きる問題です。
もし今苦しんでいる子がこれを読んでくれたら。もし何かあなたの考えや気の持ちようを変えられるのだとしたら。
あなたたちよりも少し早く生まれて、傷だらけになりながら同じ道を歩いた大人として本望です。

 

 

年頃の女子は「理由なきいじめ」をしたがる生き物。誰かを無視したり、悪口を言ったり、そういう無為な悪意を無作為に選択した他者へ向けることで、他者より大人である・優れていると思い込みたいものなんでしょうね。「"誰か"よりわたしは友人が多い」「"誰か"よりわたしは味方が多い」「"誰か"よりわたしは支持されている」といった、無意識下のマウンティングに近いような気がします。
それに悪意の根源なんか何でもよくて、ほんの些細なことでいい。言い回しが少し気に食わないとか、自分の話に対するリアクションが少し薄いとか。それこそメールにあったような「LINEの返事が冷たかったから」とか。いちゃもんレベルの不快感が悪意の根源になることなんか当たり前。それがあれば "誰か" をいじめてハブってもいい理由になるという思い込みと、それが暗黙のルールとして許容されてしまう閉鎖的なコミュニティが存在するのが「年頃の女子」なんだと思いますね。クソくだらねえ〜〜(本音)

そんなくだらないコミュニティなど、あなたが属する必要性がありません。そんなコミュニティでしか生きることのできないクソ人間にあれこれ気を揉む時間があるなら勉強するか本を読むか運動するかしなさい。そんな小さな世界で一番でいることに拘っている小さな人間のことなど、あなたが気にかけるだけ無駄です。
これから年を重ねていっても、その慣習と快感を忘れることができない、成長を忘れた人間が沢山います。ましてや「女」に生まれてしまったならば余計に。
しかしどんな時でも、そんな人間に合わせて自分のレベルを下げる必要性なんかありません。ああ自分とは人種が違うのだなと、そうやって心の中で高飛車に鼻で笑ってやり過ごさないと生きていけない時が沢山あります。


理由なきいじめは、無為な悪意やわずかながらの悪意から発生しうるものです。でも世の中のいじめはそれだけでは片付けられない。
決定的な悪意を持ついじめもある。それが「あいつのああいうところが気に食わない」という「馬が合わない論」と、「なんであいつばっかり」という「妬み嫉み論」です。

これ、前者は確かに対応する方法が存在します。ラジオでも紹介されていたように「自分のどこが悪いのかを聞いて改善する」です。聡ちゃんも言っていたけど、「自分が常に全て正しいと思うのは間違い」です。あくまで持論は持論でしかなく、それが正しいか間違っているかを見極めるのは自分と他人の両方に課せられた義務です。いつか正しかったことも、時間が経てば変わることはあります。それでいいんです。だからこそ常に「見極める」ことが求められるんです。
「自分の悪いところ」や「直すべきところ」はなかなか自分では分からない。まだ若い子なら尚更。他者に指摘されて初めて「ああ、本当だ」となることも沢山あるし、もし指摘された内容を「間違いだった」と認め受け入れる事が出来たなら、徐々に改善していけばいい。
ケンティーが言うところの「気遣い」もそうです。もしかしたら無意識の内に誰かを傷付けているかもしれないし、失礼なことをしているかもしれない。それが原因で誰かに悪口を言われているのだとしたら、それは「誰かのため」ではなく「自分のため」に直していくべきだと思います。これはただの処世術ではありません。自分という1人の人間が、今よりも、この瞬間よりもより成長して、少しでも胸を張って生きていくために必要なことなんだと思います。
わたしはこれに気が付くのがすごく遅くなってしまいました。言い訳がましいけれど、気が付くのが遅くなった理由もちゃんと別にあります。でも、わたしは今少しでもこういう成長があったことを嬉しく思います。シンプルに、フラットに自分を見つめなおして、直すべきところを直して、とても生きやすくなりました。まだ改善が必要なところはあるかもしれないし、それはほんの些細な部分かもしれない。でもそれが「本当の改善点だ」と感じる時が来たならば、また対応しなくてはなりませんね。そうやって生きていけばいいんです。

ただし、指摘されてもどうしても曲げることが出来ない信念があるのだとしたら、それは一生向き合って大事にしてください。甘やかすのではなく、常に向き合うんです。対峙し続けるのです。それがいつの日も自分にとって正しいのか、間違っていないのか、今の自分に必要か、不要か。考えてください。見極めてください。その結果どうしても大切にしたいものだと思ったなら、それは大事にするべきです。曲げてはいけません。


後者の「妬み嫉み論」ですが、これは放っておきなさい。相手をするだけ無駄です。
こういう人間は、自分よりも幸せな人間を許すことが出来ず、努力して向上する必要性がある事も忘れ、他人の足を引っ張って誰かが少しでも自分より不幸になることを望んでいる、そんな人達です。あなたが気にかけるだけ無駄です。損です。そんな性格ブスの人間は自分の人生には居ないものとして見なしましょう。それから、そんな人間を気にする暇があったら本を読みなさい。

実際にわたしも妬みや嫉みの類でめっちゃ面倒くさい出来事に巻き込まれたことが何度かありますが、本当に時間の無駄ですよ。
それを解決するまでにわたしは(最大で)高校生活の半分を費やしてしまったし、最後は友人を巻き込んで出来レースまで仕組んで相手を黙らせるという大作戦に出ましたから。これがいい例として誇れるか誇れないかは置いておいて、妬みや嫉みからくる女子同士のいじめや悪口など、無視しなさい。あなたがそれに巻き込まれて傷付いたり、時間泥棒される必要性などひとつもありませんからね。
他人を妬んで噛み付いて生きていくしかない可哀想な人も沢山いるんです。あなたがそれだけ素敵なものを持っているから、つい羨ましくなっちゃうんです。ああ可哀想にって、心の中でそうやって流せる大人にこれからなりましょう。


SNSで悪口を書いていたのに、ふつうに笑顔で接してくる。この状況に恐怖を覚えるのは至極当然です。多分あなたが今まで遭遇したことのない出来事だから、それに驚きと恐怖を感じるのは当たり前だと思います。どう対処したらいいのか、分からないですよね。
わたしの経験上ですが、あなたの心の健康を保つ為には関わりを断つのが一番です。あなたが気を遣おうが、気を付けようが、きっとその子は一生そういうことをして生きていきます。社会人になっても、そうやって上手に嘘をついて世間を渡り歩いて行くでしょう。それが「世間体がいい」とか「誰とでも上手くいく」という言葉のカラクリだったりすることもあります。誤解を招くといけないから言っておきますが、本当にいい人で、誰からも好かれて愛されて「誰とでも上手くいく」人だっています。稀にね。でもそういう人がみんなに見えないところで凄く努力して、気を遣って、我慢して、そうして愛されていることだって忘れちゃいけません。無意味に羨んで下唇を噛んだら、あなたも「妬み嫉み論」で騒ぎ立てる1人になってしまいます。
SNSに悪口を書き込むのが好きな人なんて、表面上だけうまくやり過ごしましょう。波風立てないように、深入りしないように。
きっとあなたの全てを理解しようとしてくれる人はいます。全力で向き合って、全力でぶつかって、本気で褒めてくれて、本気で叱ってくれる人。今はまだ出会えていないかもしれないけれど、必ずいます。


それから「友達がいなきゃ生きていけないっていう人生は間違い」って話題がありましたが、これはその通りです。
ただ少し補足するなら「友達に依存して生きるのは違う」、でしょうか。気の合う友達は必要です。大切です。ジャニオタやってるあなたならその意味は身をもって知っているはずですし、言うまでもなくリアルでもそうです。友達がいなくてもいいなんて、そんなことはありません。
だから友達との共存は必要だけど、友達への依存はダメです(多分ケンティーが言いたかったのはこういうこと。最初の一言が発信されたラジオ音源そのままだと、受取手によっては曲解されかねないなと感じました)。
あなたの人生はあなたのもの。あなたの人生の主役はあなたです。他の誰でもないあなたなんです。互いにレッドカーペットの真ん中に立つ姿を認めながら歩いていけたら、それが本当のいい友達だとわたしは思います。


それから、わたしは随所で「本を読みなさい」と書いていますが、これは本当に大事なことです。本はあなたの人生を必ず豊かにします。使い古された文句ですが、本当にその通りなんです。
だって、まだ10何年しか生きていない、しかも「学校」という閉鎖的で絶対的な社会で生きることしかできない年齢の子が出会える人間なんて限られてると思いませんか。でも本の中には、あなたが今まで出会ったことのないような色んな人たちが生きています。色んな人の色んな人生が繰り広げられています。
本を読んで、沢山の本の中に生きる様々な人間達と出会うことによって、少しずつあなたの手の中にある世界を広げることが出来ます。自分にはない発想や思考を知ることによって、今まで気が付かなかった新しい自分の発見や、他者への理解も深まります。いい人も悪い人も、出来た人もクズな人も、沢山いるからです。
だからといって「架空の物語の人間じゃないか」と鼻で笑うことなかれ。たしかに「事実は小説よりも奇なり」です。小説の中に出てくる人間は、時に現実よりもちっぽけで、大したことがないことすらあります。生きている人間の方がパワフルで、エネルギッシュで、それでいて怖いものなんです。でも、その核になっている部分が反映されていない訳じゃない。謂わば濃縮還元したような人間たちが沢山います。

本の中にいる人間たちはみんな生きています。書いた作家が出会った人を、愛した人を、愛された人を、モチーフにして。
沢山の本を読むということは、沢山の知らない人間に出会うということ。それは今若いあなたにとって、大きな財産になります。
好きな本を見つけてください。好きな作家に出会ってください。何百年前の作家だって、あなたと同じ人間です。きっと気の合う人はいるはずですから。

 

最後に。
もしどうしても今の環境に居られない、無理だと思ったら、逃げてください。軽々と。足早に。
自分が生きづらい環境に無理に身を置いて、精神を削って、身体を消費して、傷付いて、そうやって生きていくことを「根性がある」と正当化してあなたを縛り付ける大人がもしかしたらいるかもしれません。そんな根性論はクソです。ゴミです。今すぐ捨てていいです。明日にでも粗大ゴミの印をつけて捨てましょう。
「逃げる」ことは恥でも何でもありません。生きていくために必要な「逃げ」なら、喜んで選択するべきです。自分を健やかに保てない環境から逃げて、新しい環境で至極健康的に真っ直ぐに生きることの何が悪いんでしょう(アンダーライン追加しました。この言葉にはわたしの素直な気持ちを詰め込んだつもりです。他意はありませんが、なにか勘違いしていらっしゃる方がいたようなので)。何にも悪くありません。ましてや、今苦しんでいるあなたがそんな環境にいることを誰かが「根性がある」と誉めそやし、そこに縛り付けることによって、もしもあなたが「死ぬこと」を考えたのだとしたら。それこそそんなに勿体ないことはありません。
人間は、生きていてナンボです。生きていなきゃ何も始まりません。死んだら何にもなくなっちゃうよ。
自分が選択して全うしたいと思う試練以外、きっとそんなに大したことはありません。生きるために逃げるのです。生きて逃げて、自分が自分を越える為に必要な試練に立ち向かうべきです。

生きて逆襲しましょう。自分を笑い者にする奴等に。他人を傷つけることにしか快楽を見出せない可哀想な人達に。ああ可哀想に!って、心の中でほくそ笑んで軽やかに歩いて生きましょう。きっと可哀想な人達は、あなたがその軽やかな姿で生きることの「逆襲」にすら、指を咥えることしか出来ないのですから。

 

 

 


わたしは、小学3年生の1年間不登校になり、小学5年生の頃には「ウチの好きな人のことを(わたしが)見ていたのがムカついたから」という理由で5人の女子に結託され、担任の先生に根も葉もないわたしの悪口を吹き込まれた上に授業中わざわざ相談室に呼び出されて「こんな事されたって言ってるのよ、謝りなさい」と謝罪を強要されたこともありました。謝らなかったけど。だってやってないし。
中学に入ってからは「大した技もできないくせに副キャプテンとかムカつく(成績や技の実力を買ってもらって副キャプテンになった訳ではないということはみんなの前で就任時に説明されている)」という理由で部活内で悪口を言われたこともあるし、無為な悪意が原因でローテーションのいじめに遭ったこともあります。その時は「くだらねえなお前ら、クソかよ、勝手にやってろ」と思ったので、自ら一匹狼で過ごすことを選択しました。部活帰りに「かえろ〜」と思って靴に足を入れたら画鋲が50個くらい入っていたこともあります。逆に面白すぎて笑ってその場で捨てました。友達はドン引きしてました。
高校に上がってからはそういった「ありがちないじめ」は無くなりましたが、その代わり待っていたのは「妬み嫉みからくるいじめ」でした。まぁいじめっていうか普通にバトルでしたけど。ちなみにそれは出来レース込みの直接対決で決着つけました。普通に(今で言うところの)SNSに殺害予告出されたのがムカついたので、全部画面メモ(時代…)して、相手が言い逃れできない状況作ってから攻めました。これも大元の原因は「自分の好きだった人が他の女(わたし)と付き合い始めたから」というものでした。知るかよ。
あとは「なんかやったら面白いから」って理由でわたしが愛用してたポーチに焼きそば詰められたこともありますね。犯人後々分かったし謝られたけど、わたしは「いいよ」とは言ってないし(「へえ」とだけ言っておいた)、死ぬまで許さないと思って生きてます。今その女は高校中退してその後まともに生きてないし、もう1人は精神的に病んで鬱と拒食症で生きるのが辛そうです。へえーって感じですね。ざまあみろです。
教科書盗まれたり、体育着盗まれそうになったこともあります。体育着は盗もうとしてる現場に遭遇したので「それ、わたしの体育着だけど」といってその場でにこやかにメンチ切って取り返しました。

余談を続けようと思えばいくらでも続けられますが、まぁ細かいことを色々抜いて、面白おかしく書き立てることが出来る事柄だけ書いてみました。
どれも当時精神的にキツかったし、心が持たないと思った日は学校休んだりしてました。軽々と逃げてましたよ。でも、今となっては全て笑い話です。それからくるトラウマや虚勢もあるにはあるけど、喉元過ぎれば何とやら。

適度に逃げて、適度に戦って、適当にやり過ごしてきた。そうして今幸せな生活と人生があるので、もういいかなって思ってます。
これを読んだ若いあなたがもし一緒に笑ってくれるなら、それでいいです。

今苦しんでいるあなたが思うほど、世界は暗くないよ。明るいよ。

 

本当の最後に。
良かったらこれを探して聴いてください。今苦しいあなたの心に、この人のこの言葉が少しでも届けばいいなと思います。
苦しかったわたしを救ってくれた、そんな歌たちです。


「虚言症」椎名林檎
虚言症 椎名林檎 歌詞情報 - 歌ネットモバイル

「人生は夢だらけ」椎名林檎
人生は夢だらけ 椎名林檎 歌詞情報 - 歌ネットモバイル

「キラーチューン」東京事変
キラーチューン 東京事変 歌詞情報 - 歌ネットモバイル

 

 

 

忘れないでください。この長い独り言だって、わたしの「持論」でしかありません。この文章を読んで、どこが正しくてどこが間違っているのか、どこを摂取してどこを放棄するのか、それを選び取るのはあなた自身です。

どうかこの先、素敵な輝かしい人生を。

そう祈って、この盛大な独り言は終わりにします。

 

 

かすみ